逆巻地蔵(さかまきじぞう) 大阪市東淀川区大桐5-4
逆巻地蔵(さかまきじぞう) 大阪市東淀川区大桐5-4
「逆巻地蔵」は、弘化3年(1846年)、豊里大橋付近の阪巻村(現在は淀川の川底になった場所)に建立されました。この場所は水流が激しく、帆を逆に巻かなければ転覆することから「逆巻の難所」と名付け、恐れられていました。幾度も船が難破し、数多くの犠牲者が出たため、慰霊と船便の安全守護を祈願して、この地蔵が建てられました。
明治31年(1898年)、淀川改修のころ、観仏寺の住職が、緋の衣を着た僧を背負って観仏寺に着いたところ、僧が地蔵に変わっていたという夢を見て、きっと工事で動かされる地蔵がここにいたいと夢告されたのだろうと考え、観仏寺が引き取り安置しました。このとき、地蔵の下から犠牲者の戒名を書いた石が、80近くも出てきたそうです。
逆巻地蔵 明治31年(1898年)、淀川改修で観仏寺の住職が夢見で、引き取り寺に安置。その後、大正12年(1923)、住職の娘が地蔵が表通りに出たいと訴える夢を見て、現在の場所に安置されたという。
(広報「ひがしよどがわ」平成14年8月号に掲載)
六角の台石に座る蓮台をいれて1.6メートルもある大きな地蔵で、太く垂れた眉、小さい顔は、満面に慈悲をたた
淀川逆巻遭難者之碑 昭和63年(1988)8月建立。お堂は昭和52年(1977)8月再建された。
せせらぎの遊歩道
大桐3~5丁目にかけて、延長610メートルのせせらぎの遊歩道があります。木々が生い茂り、小川が流れています。この小川は、昔、農業用水路として使っていました。
近くにお住まいの方々は、遊歩道に沿って、色とりどりの花を育てておられ、「緑が多く、水のせせらぎが涼しげなこの環境を、大切に守っていきたいですね。」という声も聞かれました。
(「広報ひがしよどがわ」平成13年7月号に掲載)
逆巻地蔵さんより北向きに
逆巻地蔵さんより南向きに
訪問 有難う御座います。
明日もいい日で有ります様に!!
「逆巻地蔵」は、弘化3年(1846年)、豊里大橋付近の阪巻村(現在は淀川の川底になった場所)に建立されました。この場所は水流が激しく、帆を逆に巻かなければ転覆することから「逆巻の難所」と名付け、恐れられていました。幾度も船が難破し、数多くの犠牲者が出たため、慰霊と船便の安全守護を祈願して、この地蔵が建てられました。
明治31年(1898年)、淀川改修のころ、観仏寺の住職が、緋の衣を着た僧を背負って観仏寺に着いたところ、僧が地蔵に変わっていたという夢を見て、きっと工事で動かされる地蔵がここにいたいと夢告されたのだろうと考え、観仏寺が引き取り安置しました。このとき、地蔵の下から犠牲者の戒名を書いた石が、80近くも出てきたそうです。
逆巻地蔵 明治31年(1898年)、淀川改修で観仏寺の住職が夢見で、引き取り寺に安置。その後、大正12年(1923)、住職の娘が地蔵が表通りに出たいと訴える夢を見て、現在の場所に安置されたという。
(広報「ひがしよどがわ」平成14年8月号に掲載)
六角の台石に座る蓮台をいれて1.6メートルもある大きな地蔵で、太く垂れた眉、小さい顔は、満面に慈悲をたた
淀川逆巻遭難者之碑 昭和63年(1988)8月建立。お堂は昭和52年(1977)8月再建された。
せせらぎの遊歩道
大桐3~5丁目にかけて、延長610メートルのせせらぎの遊歩道があります。木々が生い茂り、小川が流れています。この小川は、昔、農業用水路として使っていました。
近くにお住まいの方々は、遊歩道に沿って、色とりどりの花を育てておられ、「緑が多く、水のせせらぎが涼しげなこの環境を、大切に守っていきたいですね。」という声も聞かれました。
(「広報ひがしよどがわ」平成13年7月号に掲載)
逆巻地蔵さんより北向きに
逆巻地蔵さんより南向きに
訪問 有難う御座います。
明日もいい日で有ります様に!!








この記事へのコメント
長柄の人柱の話も聞きます。
水難 に悩まされたのですね。
新淀川 いつごろできたのですかね。