新屋坐天照御魂神社(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ) 茨木市西福井3-36-1
新屋坐天照御魂神社(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ) 茨木市西福井3-36-1
由緒;
新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。
第十四代仲衰天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました。(上河原社・西河原社)
貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。
また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊穣を祈願してきました。
この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)、細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰しました。
そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し、現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり後、その功によって、茨木城主になったと言われています。
その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。
新屋坐天照御魂神社(新屋神社)HPより
第二鳥居・社号標
神額・・・・・・・大阪府道110号余野茨木線の福井宮の前交差点?に建っています。
第一鳥居
参道
第一鳥居から見た・・・・・・・・・・社号標から第二鳥居を見た・・・・・・・・第二鳥居からは階段となっています・・・・・・・・・・・・・・・・・・
階段の中程に掛かる太鼓橋で川があり水が流れています・・・・・・・・・・・・
更に上って行くと第三鳥居・境内へ・・・・・・振り返り階段を上から見ると・・・・・・・・・・・
境内
拝殿
貞享3年(1686)改造、以後度々改修、昭和60年(1985)大改修(参拝のしおりより)
拝殿内部・・・・・・・・・拝殿・中門・本殿の関係・・・・・・・・・・
中門 右側より・・・・・・・・・・・・・・中門 左側より・・・・・・・・・・・・・・
本殿 御祭神;天照御魂皇大神、天照国照天彦火明大神、天津彦瓊瓊杵大神
・天正12年(1584)8月 中川清秀の妻性寿院によって造営
・貞享3年(1686年改修
・天保12年(1841)改造
・明治43年(1910)二千年祭記念事業として御屋根改修
・昭和34年(1959)創建二千五十年祭記念事業として御屋根大改修 (参拝のしおりより)
式内社顕彰の為の標石 新屋坐天照御魂社一座 福井村
建立は、元文年間(1717年~1740年)の石碑 、(茨木市教育委員会 わがまち茨木 より)
本殿前の狛犬
境内入口の狛犬
境内摂社 須賀神社 御祭神;素佐之男命(すさのおのみこと)
須賀という言葉は、神話の中で素佐之男命が出雲国須賀に辿り着いた際、「この地に来て私の心は清々しい」と仰ったことに由来します。昭和四十五年改修。 新屋坐天照御魂神社HPより
境内摂社 出雲大社 御祭神;大国主命(おおくにぬしのみこと)
古くから出雲大社の遙拝所がありましたが、当社創建二千百年祭を斎行するにあたり、平成十七年に新しく建てられました。 新屋坐天照御魂神社HPより
境内末社 六社【六社さん】 ともいう
田畑神社 御祭神;大歳神(大国主命の御子)、尾上神社 御祭神;倭姫命(伊勢神宮の斎宮)、構八幡神社 御祭神;応神天皇、宇奈多理神社 御祭神;高皇産霊神(造化三神の一神)、立川原神社 御祭神;手力雄命、つとの御前神社 御祭神;市杵嶋姫命(弁天さん) (参拝のしおりより)
境内末社 稲荷社
丸山稲荷と称し、伏見大社の奥社の丸山稲荷を勧請したものと思われます。当社所有の古図(貞享三年)にも記載があります。 参拝のしおりより
境内末社 天満宮(銅葺) 御祭神;菅原道真公
天満宮(銅葺) 菅原道真公をお祀りしています。鎮座年代は不明ですが、当社所有の古図にもその存在が記載されています。 参拝のしおりより
境内末社 石神(大海神)
境内の池に鎮座する神で、明治の中頃まで早魃の際、荒縄でしばり担いで耳原井手に行き、そこで水づけにしました。そして、雨が降れば水から揚げて元の場所へ戻し、人々は礼拝して喜びあったといわれています。参拝のしおりより
境内末社 道祖神(さえのかみ)
石標が立っています。以前は歯神として崇敬され、昭和の中頃までは石造の冠姿の神像が祀られていました。鎌倉時代のものといわれており、現在は別所にて厳重に保管しております。(参拝のしおりより)
境内末社 若宮八幡社 祭神:仁徳天皇 本殿の垣内に鎮座。
承応年中(1652年-1654年)造立。(参拝のしおりより)
太神宮拝所
出雲大社拝所
住吉大社拝所
神武天皇拝所
歴代天皇・今上天皇拝所
【降臨の地】
新屋坐天照御魂神社には、御祭神である天照御魂大神が天降りされた日降ヶ丘と呼ばれる小高い丘があります。日降ヶ丘は、稲荷社横の入り口より山道を200mほど上がると見えてきますので、是非一度お参り下さい。
写真・説明文 新屋坐天照御魂神社HPより
入り口
日降ヶ丘
神社案内古図 新屋坐天照御魂神社HPより
手水舎
境内案内板
JR東海道線・茨木駅の北約3.7km
府道・余野茨木線沿いに大阪府立福井高校の北側に鎮座し、茨木駅からバス利用し『福井宮の前』下車、西側の日降丘山麓に向かって参道が延びています。境内は大きな木々に囲まれて静かな神社となっています。日降丘一帯には新屋古墳群があり、今10数基が残って入る様です。
平成26年(2014) 5月19日 参拝
いつも訪問を頂き沢山の気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!
由緒;
新屋坐天照御魂神社は、第十代崇神天皇の御宇、天照御魂大神が現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命を勅使として丘山の榊に木綿を掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国屈指の歴史と社格を誇る神社であります。
第十四代仲衰天皇の御宇、神功皇后には三韓を征せられるに当たり新屋の川原にて禊の祓と戦勝祈願をされ、凱旋の後、天照御魂大神の荒魂、幸魂を西の川上と東の川下の辺りに斎祀らせました。(上河原社・西河原社)
貞観元年(859)には従四位下、天慶三年(940)には正四位上の神位を授かり更に、延喜年中には延喜式内名神大社として四時祭・相嘗祭・臨時祭など数々の国家の重要祭事に預かりました。
また、当社は創建時より朝廷の結びつき殊の外つよく第二十六代継体天皇の御宇に初めて奉幣使が遣わされて以来、第九十代亀山天皇の御宇まで実に二百十九回の奉幣使が遣わされるなど、神祇官直支配の案上の官幣大社として永く国家平安、五穀豊穣を祈願してきました。
この間、皇極三年(644)には中臣鎌子連(後の藤原鎌足)が神祇伯に任じられ、奉幣使として当社に参詣されるなど、平安時代までは朝野の篤い崇敬がよせられ、社頭は大いなる隆盛を誇りましたが鎌倉時代に至り、嶋下郡の総社と定められるも武家による諸規則の制定・強化、神領没収など社頭の衰微が始まり、室町時代末期の大永七年二月(1527)、細川家の内紛(大永の乱)により兵火に遭うところとなりご神殿、神宝、神器悉く灰燼に帰しました。
そして、天正十二年(1584)、中川清秀公が社殿を再建し、現在の基礎が構築されました。清秀公は当社の氏子中河原の人であり後、その功によって、茨木城主になったと言われています。
その後、明治五年郷社に列せられ、御本殿の外、摂社として出雲社、須賀社の二社と六社神社などの末社が境内に祀られています。
新屋坐天照御魂神社(新屋神社)HPより
第二鳥居・社号標
神額・・・・・・・大阪府道110号余野茨木線の福井宮の前交差点?に建っています。
第一鳥居
参道
第一鳥居から見た・・・・・・・・・・社号標から第二鳥居を見た・・・・・・・・第二鳥居からは階段となっています・・・・・・・・・・・・・・・・・・
階段の中程に掛かる太鼓橋で川があり水が流れています・・・・・・・・・・・・
更に上って行くと第三鳥居・境内へ・・・・・・振り返り階段を上から見ると・・・・・・・・・・・
境内
拝殿
貞享3年(1686)改造、以後度々改修、昭和60年(1985)大改修(参拝のしおりより)
拝殿内部・・・・・・・・・拝殿・中門・本殿の関係・・・・・・・・・・
中門 右側より・・・・・・・・・・・・・・中門 左側より・・・・・・・・・・・・・・
本殿 御祭神;天照御魂皇大神、天照国照天彦火明大神、天津彦瓊瓊杵大神
・天正12年(1584)8月 中川清秀の妻性寿院によって造営
・貞享3年(1686年改修
・天保12年(1841)改造
・明治43年(1910)二千年祭記念事業として御屋根改修
・昭和34年(1959)創建二千五十年祭記念事業として御屋根大改修 (参拝のしおりより)
式内社顕彰の為の標石 新屋坐天照御魂社一座 福井村
建立は、元文年間(1717年~1740年)の石碑 、(茨木市教育委員会 わがまち茨木 より)
本殿前の狛犬
境内入口の狛犬
境内摂社 須賀神社 御祭神;素佐之男命(すさのおのみこと)
須賀という言葉は、神話の中で素佐之男命が出雲国須賀に辿り着いた際、「この地に来て私の心は清々しい」と仰ったことに由来します。昭和四十五年改修。 新屋坐天照御魂神社HPより
境内摂社 出雲大社 御祭神;大国主命(おおくにぬしのみこと)
古くから出雲大社の遙拝所がありましたが、当社創建二千百年祭を斎行するにあたり、平成十七年に新しく建てられました。 新屋坐天照御魂神社HPより
境内末社 六社【六社さん】 ともいう
田畑神社 御祭神;大歳神(大国主命の御子)、尾上神社 御祭神;倭姫命(伊勢神宮の斎宮)、構八幡神社 御祭神;応神天皇、宇奈多理神社 御祭神;高皇産霊神(造化三神の一神)、立川原神社 御祭神;手力雄命、つとの御前神社 御祭神;市杵嶋姫命(弁天さん) (参拝のしおりより)
境内末社 稲荷社
丸山稲荷と称し、伏見大社の奥社の丸山稲荷を勧請したものと思われます。当社所有の古図(貞享三年)にも記載があります。 参拝のしおりより
境内末社 天満宮(銅葺) 御祭神;菅原道真公
天満宮(銅葺) 菅原道真公をお祀りしています。鎮座年代は不明ですが、当社所有の古図にもその存在が記載されています。 参拝のしおりより
境内末社 石神(大海神)
境内の池に鎮座する神で、明治の中頃まで早魃の際、荒縄でしばり担いで耳原井手に行き、そこで水づけにしました。そして、雨が降れば水から揚げて元の場所へ戻し、人々は礼拝して喜びあったといわれています。参拝のしおりより
境内末社 道祖神(さえのかみ)
石標が立っています。以前は歯神として崇敬され、昭和の中頃までは石造の冠姿の神像が祀られていました。鎌倉時代のものといわれており、現在は別所にて厳重に保管しております。(参拝のしおりより)
境内末社 若宮八幡社 祭神:仁徳天皇 本殿の垣内に鎮座。
承応年中(1652年-1654年)造立。(参拝のしおりより)
太神宮拝所
出雲大社拝所
住吉大社拝所
神武天皇拝所
歴代天皇・今上天皇拝所
【降臨の地】
新屋坐天照御魂神社には、御祭神である天照御魂大神が天降りされた日降ヶ丘と呼ばれる小高い丘があります。日降ヶ丘は、稲荷社横の入り口より山道を200mほど上がると見えてきますので、是非一度お参り下さい。
写真・説明文 新屋坐天照御魂神社HPより
入り口
日降ヶ丘
神社案内古図 新屋坐天照御魂神社HPより
手水舎
境内案内板
JR東海道線・茨木駅の北約3.7km
府道・余野茨木線沿いに大阪府立福井高校の北側に鎮座し、茨木駅からバス利用し『福井宮の前』下車、西側の日降丘山麓に向かって参道が延びています。境内は大きな木々に囲まれて静かな神社となっています。日降丘一帯には新屋古墳群があり、今10数基が残って入る様です。
平成26年(2014) 5月19日 参拝
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明日も良い日で有ります様に!!




















































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