八坂神社(やさかじんじゃ) 大阪市平野区喜連東2-1-21
八坂神社(やさかじんじゃ) 大阪市平野区喜連東2-1-21
由緒;
御祭神;八坂大神、素盞嗚尊、忍坂大神、忍坂大中姫命、熊野大神、山皇権現、春日大神
当神社は元々喜連地という地名の処に鎮座されていたが元亀時代(1570)頃現在の所に鎮座された。村社の東西神社は元八坂神社と称し祭神に素盞嗚尊を祀り、一つに牛頭天王と呼ばれていたが嘉永年間忍坂大中姫命を祀られいつしか媛天神として祀られた。元山皇の西にあったが往古よりの山皇権現鎮座を元禄の時代に八坂神社の境内に移してあった のを合祀したものである。
東西神社と改称したのは合祀によるもので氏子が東西喜連村にまたがっていたので東西 の二字をもったのである。
明治四十年九月村社楯原神社、村社東西神社(旧東喜連村にあり、素盞嗚尊 忍坂大中姫命合祀)及び無格社春日社(旧東喜連村の南端に鎮座)を天神社に合祀してあったところ由緒ある盾原神社の社名が没するのを非とし同四十三年十二月天神東西春日の三社が現在の楯原神社に合祀された。
昭和二十六年東喜連氏子一同の要望により東西社春日社の両社を同年七月十五日元の東喜連に分離移転した。また同時に地域の氏子も分かれた。
境内案内 石碑 より
鳥居
社頭
参道・境内
拝殿
拝殿内部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本殿 御祭神;八坂大神、素盞嗚尊、忍坂大神、忍坂大中姫命、熊野大神、山皇権現、春日大神
拝殿前の狛犬
遥拝所
ご神木
参集殿・社務所
境内案内石碑
手水舎の設置は有りませんでした。
大阪市営地下鉄、谷町線・喜連瓜破駅 北東へ約790m(直線)
喜連瓜破駅前を東西に長居公園通りがあります。長居公園通りを東に約550mで瓜破霊園北交差点に、交差点を北へ約400mで八坂神社の裏に、入口は東側の住宅の間にあり、八坂神社と書かれた額が掛かる鳥居が立っています。入口には不自然な遥拝所石碑が立っています。右手に参集殿兼社務所、中央奥に拝殿・本殿が、末社は有りませんでした。境内は広く、すっきり感が残る八坂神社でした。
平成27年(2015) 3月13日 参拝
いつも訪問を頂きたくさんの気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!
由緒;
御祭神;八坂大神、素盞嗚尊、忍坂大神、忍坂大中姫命、熊野大神、山皇権現、春日大神
当神社は元々喜連地という地名の処に鎮座されていたが元亀時代(1570)頃現在の所に鎮座された。村社の東西神社は元八坂神社と称し祭神に素盞嗚尊を祀り、一つに牛頭天王と呼ばれていたが嘉永年間忍坂大中姫命を祀られいつしか媛天神として祀られた。元山皇の西にあったが往古よりの山皇権現鎮座を元禄の時代に八坂神社の境内に移してあった のを合祀したものである。
東西神社と改称したのは合祀によるもので氏子が東西喜連村にまたがっていたので東西 の二字をもったのである。
明治四十年九月村社楯原神社、村社東西神社(旧東喜連村にあり、素盞嗚尊 忍坂大中姫命合祀)及び無格社春日社(旧東喜連村の南端に鎮座)を天神社に合祀してあったところ由緒ある盾原神社の社名が没するのを非とし同四十三年十二月天神東西春日の三社が現在の楯原神社に合祀された。
昭和二十六年東喜連氏子一同の要望により東西社春日社の両社を同年七月十五日元の東喜連に分離移転した。また同時に地域の氏子も分かれた。
境内案内 石碑 より
鳥居
社頭
参道・境内
拝殿
拝殿内部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本殿 御祭神;八坂大神、素盞嗚尊、忍坂大神、忍坂大中姫命、熊野大神、山皇権現、春日大神
拝殿前の狛犬
遥拝所
ご神木
参集殿・社務所
境内案内石碑
手水舎の設置は有りませんでした。
大阪市営地下鉄、谷町線・喜連瓜破駅 北東へ約790m(直線)
喜連瓜破駅前を東西に長居公園通りがあります。長居公園通りを東に約550mで瓜破霊園北交差点に、交差点を北へ約400mで八坂神社の裏に、入口は東側の住宅の間にあり、八坂神社と書かれた額が掛かる鳥居が立っています。入口には不自然な遥拝所石碑が立っています。右手に参集殿兼社務所、中央奥に拝殿・本殿が、末社は有りませんでした。境内は広く、すっきり感が残る八坂神社でした。
平成27年(2015) 3月13日 参拝
いつも訪問を頂きたくさんの気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!


















この記事へのコメント