湊川神社(みなとがわじんじゃ)通称名;楠公さん 神戸市中央区多聞通3-1-1
湊川神社(みなとがわじんじゃ)通称名;楠公さん 神戸市中央区多聞通3-1-1
由緒;
楠木正成は、延元元年(1336年)5月25日、湊川の地で足利尊氏と戦い殉節した(湊川の戦い)。その墓は長らく荒廃していたが、元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立した。以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬された。幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり、彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至った。1867年(慶応3年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)、墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め、明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建された。
境内には、楠公にゆかりのあるものを納めた宝物殿や能楽堂である神能殿や結婚式などのための楠公会館などがある。また兵庫県内の神社の事務を管轄する兵庫県神社庁の事務所がある。
wikipediaより
現在の社殿は、戦災によって焼失したものを、昭和27年10月24日に復興新築されたもので、様式は権現造(ごんげんづくり)に似た八棟造り(はちむねづくり)とされ、鉄筋コンクリート造で建てられており、戦後の新しい神社建築様式としての代表的な建物と言われています。
本殿は三つの御扉が見え、三座に分かれ祀られています。中央の御扉の奥には主神の正成公、向かって右には正成公夫人、向かって左には御子の正行公と正成公御弟の正季卿以下御一族十六柱並びに菊池武吉卿がお祀りされています。
湊川神社HPより
社頭
神門・社号標
参道
参道中ほどの鳥居・狛犬
鳥居奥から拝殿までの参道・・・・
拝殿
拝殿内部、七五三のお参りが続いていました・・・・・・拝殿の天井には絵が・・・・・
本殿 御祭神;贈正一位橘朝臣正成公、配祀神; 贈従二位楠木正行卿、贈正三位楠木正季卿、菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命・宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命
拝殿前のブロンズの狛犬
境内摂社 甘南備神社(本社本殿に合祀)
甘南備神社は楠木正成の夫人滋子(この名前は『湊川神社誌』によるが、他にはみえない。滋子は藤原宣房の娘ともいわれるが不詳)を祀っている神社である。1906年(明治39年)9月5日没地河内の赤坂城で神霊を招き、9月22日に創建された。「甘南備」の名前は没地の地名による。1945年(昭和20年)に戦災で社殿を焼失したが、戦後復興の際に神霊は本社本殿の向かって右側に合祀された。wikipediaより
境内末社 菊水天神社 御祭神;菅原道真公
菅原道真を祀る菊水天満神社は1876年(明治9年)9月21日に創建された。1922年(大正11年)8月に正式に末社として認められる。wikipediaより
拝殿・・・・・本殿・・・・拝殿前の狛犬・・・・撫で牛・・・・
境内末社 楠本稲荷神社(すもといなりじんじゃ) 御祭神;倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命
楠本稲荷神社は徳川光圀の墓碑建立以前より、この地に鎮座しているといわれ、1872年(明治5年)8月17日に湊川神社に社殿が建立された。祭神は、倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命である。wikipediaより
遙拝所
殉節地、史蹟・楠木正成戦没地
延元元年(1336)5月25日、正成公が御弟正季卿以下御一族と「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」を誓われつつ殉節された場所と伝えられ、境内西北隅に位置します(国指定文化財史蹟)wikipediaより
正面の神門右側に 【大楠公御墓所】 があります・・・・・・
御墓所、史蹟・楠木正成墓碑
正成公以下御一族等の墓所として、境内東南隅に位置します(国指定文化財史蹟)。
元禄五年(1692)に、権中納言徳川光圀公(水戸黄門)は、家臣佐々介三郎宗淳を、この地に遣(つか)わして碑石を建て、光圀公みずから表面の『嗚呼忠臣楠子之墓』の文字を書き、裏面には明(みん)の遺臣朱舜水の作った賛文を、岡村元春に書かせて、これに刻ませました。湊川神社HPより
徳川光圀公銅像 と頌徳碑
御墓所には徳川光圀公(水戸黄門)の銅像があります。光圀公は、水戸藩主を辞して西山荘に隠居された後も、大日本史の編纂を行うなど活躍され、正成公をひたすらお慕いされて墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立されました。これら御事蹟は天下に顕彰され、偉大な御功績をのこされました。此の御功績を追慕して御尊の建設が尊願され、昭和30年7月に完成しました。銅像の原型は、平櫛田中の作で、その頌徳碑は、徳富蘇峰の文によるものです。湊川神社HPより
手水舎(大楠公御墓所内)
親子さざれ石
六角堂
東入口・神門
西入口・神門
手水舎
大楠公一代記
詳しくは湊川神社HPで
境内案内板
JR神戸線 「神戸駅」より北へ500m徒歩約7分、阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」すぐ、市営地下鉄 山手線「大倉山駅」より南へ300m徒歩約5分
JR神戸駅から北に向かうと、銅葺きの立派な表神門があり、この神社が湊川神社。室町時代の南北朝の騒乱の中、後醍醐天皇に忠節を尽くして奮闘した南朝方の名将・楠木正成公を祀った神社で「楠公さん」の愛称で親しまれています。神社としての歴史は意外と浅く、創建は約140年前の明治5年(1872)。楠木正成公やその子・楠木正行公を含む17名が祀られています。
平成25年(2013)12月 9日 参拝
いつも訪問を頂き沢山の気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!
由緒;
楠木正成は、延元元年(1336年)5月25日、湊川の地で足利尊氏と戦い殉節した(湊川の戦い)。その墓は長らく荒廃していたが、元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立した。以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬された。幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり、彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至った。1867年(慶応3年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)、墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め、明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建された。
境内には、楠公にゆかりのあるものを納めた宝物殿や能楽堂である神能殿や結婚式などのための楠公会館などがある。また兵庫県内の神社の事務を管轄する兵庫県神社庁の事務所がある。
wikipediaより
現在の社殿は、戦災によって焼失したものを、昭和27年10月24日に復興新築されたもので、様式は権現造(ごんげんづくり)に似た八棟造り(はちむねづくり)とされ、鉄筋コンクリート造で建てられており、戦後の新しい神社建築様式としての代表的な建物と言われています。
本殿は三つの御扉が見え、三座に分かれ祀られています。中央の御扉の奥には主神の正成公、向かって右には正成公夫人、向かって左には御子の正行公と正成公御弟の正季卿以下御一族十六柱並びに菊池武吉卿がお祀りされています。
湊川神社HPより
社頭
神門・社号標
参道
参道中ほどの鳥居・狛犬
鳥居奥から拝殿までの参道・・・・
拝殿
拝殿内部、七五三のお参りが続いていました・・・・・・拝殿の天井には絵が・・・・・
本殿 御祭神;贈正一位橘朝臣正成公、配祀神; 贈従二位楠木正行卿、贈正三位楠木正季卿、菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命・宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命
拝殿前のブロンズの狛犬
境内摂社 甘南備神社(本社本殿に合祀)
甘南備神社は楠木正成の夫人滋子(この名前は『湊川神社誌』によるが、他にはみえない。滋子は藤原宣房の娘ともいわれるが不詳)を祀っている神社である。1906年(明治39年)9月5日没地河内の赤坂城で神霊を招き、9月22日に創建された。「甘南備」の名前は没地の地名による。1945年(昭和20年)に戦災で社殿を焼失したが、戦後復興の際に神霊は本社本殿の向かって右側に合祀された。wikipediaより
境内末社 菊水天神社 御祭神;菅原道真公
菅原道真を祀る菊水天満神社は1876年(明治9年)9月21日に創建された。1922年(大正11年)8月に正式に末社として認められる。wikipediaより
拝殿・・・・・本殿・・・・拝殿前の狛犬・・・・撫で牛・・・・
境内末社 楠本稲荷神社(すもといなりじんじゃ) 御祭神;倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命
楠本稲荷神社は徳川光圀の墓碑建立以前より、この地に鎮座しているといわれ、1872年(明治5年)8月17日に湊川神社に社殿が建立された。祭神は、倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命である。wikipediaより
遙拝所
殉節地、史蹟・楠木正成戦没地
延元元年(1336)5月25日、正成公が御弟正季卿以下御一族と「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」を誓われつつ殉節された場所と伝えられ、境内西北隅に位置します(国指定文化財史蹟)wikipediaより
正面の神門右側に 【大楠公御墓所】 があります・・・・・・
御墓所、史蹟・楠木正成墓碑
正成公以下御一族等の墓所として、境内東南隅に位置します(国指定文化財史蹟)。
元禄五年(1692)に、権中納言徳川光圀公(水戸黄門)は、家臣佐々介三郎宗淳を、この地に遣(つか)わして碑石を建て、光圀公みずから表面の『嗚呼忠臣楠子之墓』の文字を書き、裏面には明(みん)の遺臣朱舜水の作った賛文を、岡村元春に書かせて、これに刻ませました。湊川神社HPより
徳川光圀公銅像 と頌徳碑
御墓所には徳川光圀公(水戸黄門)の銅像があります。光圀公は、水戸藩主を辞して西山荘に隠居された後も、大日本史の編纂を行うなど活躍され、正成公をひたすらお慕いされて墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立されました。これら御事蹟は天下に顕彰され、偉大な御功績をのこされました。此の御功績を追慕して御尊の建設が尊願され、昭和30年7月に完成しました。銅像の原型は、平櫛田中の作で、その頌徳碑は、徳富蘇峰の文によるものです。湊川神社HPより
手水舎(大楠公御墓所内)
親子さざれ石
六角堂
東入口・神門
西入口・神門
手水舎
大楠公一代記
詳しくは湊川神社HPで
境内案内板
JR神戸線 「神戸駅」より北へ500m徒歩約7分、阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」すぐ、市営地下鉄 山手線「大倉山駅」より南へ300m徒歩約5分
JR神戸駅から北に向かうと、銅葺きの立派な表神門があり、この神社が湊川神社。室町時代の南北朝の騒乱の中、後醍醐天皇に忠節を尽くして奮闘した南朝方の名将・楠木正成公を祀った神社で「楠公さん」の愛称で親しまれています。神社としての歴史は意外と浅く、創建は約140年前の明治5年(1872)。楠木正成公やその子・楠木正行公を含む17名が祀られています。
平成25年(2013)12月 9日 参拝
いつも訪問を頂き沢山の気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
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