皇大神社(こうたいじんじゃ) 尼崎市常光寺1-18-10
皇大神社(こうたいじんじゃ) 尼崎市常光寺1-18-10
由緒;
ご祭神;天照大御神(あまてらすおおみかみ) 、誉田別尊(ほむたわけのみこと)
本殿棟札によると、天長元年空海上人が浄光寺創設の折に勧請したと記されている。
正平年中(1346~1370)、佐々木判官秀詮がこの地に浄光寺城を築き、その後天正7年(1579)、織田信長が伊丹城主荒木村重を攻略した際、城と共に城の守護神である当社も焼失した。のちの元禄13年(1700)、村人達が合議の上代官の助力を得て社殿を造営。
現在の本殿並びに北の鳥居は当時のもので、300年を経る。昭和3年、昭和の御大典を記念して拝殿、弊殿、本殿の覆殿を造営、昭和46年には明治百年を記念して全社殿の大屋根を改修。平成21年には、地盤沈下などによる社殿の歪みを修復するため基礎改修工事が行われ、現在に至る。
末社には稲荷社他、天満宮、愛宕大神、弁財天を祀る。また、境内には幼稚園が併設され、樹木は市の保護樹林に指定されている。
皇大神社公式ホームページ より
鳥居・社号標
鳥居に架かる神額・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社頭
参道・境内
拝殿前の注連縄柱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
拝殿
拝殿内部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・拝殿内部に架かる神額・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本殿
拝殿前の狛犬
境内末社 稲荷神社 御祭神;迦具土稲荷大神
境内末社 相殿 天満宮・弁財天・愛宕大権現
照國塔
北・入口、鳥居
手水舎
境内案内板
淳和天皇、天長元年甲辰の年、空海上人が浄光寺創設の折に勧請されたと伝えられる。
正平年間赤間則裕が当地を平定し、佐々木詮が守護となり、ここに浄光寺城を築く。
天正年間荒木村重が織田信長に亡ぼされ、また羽柴秀吉が明智光秀を追い京都に上がる際、城は焼打に遇い当社も城と共に戦火を罹り全焼する。
この間300年城の守護神として祭祀されていた。
のち元禄13年村人達は代官蒔田庄衛門の助力を得、社殿を造営する。
本殿及び北の鳥居は当時の建物として現存している。
昭和の改元を記念して仝3年、本殿上覆幣殿、拝殿を新造し、昭和46年には 明治100年を記念して全社殿の御屋根を改修した。
JR西日本・JR神戸線、尼崎駅 東南へ約850m(直線)
尼崎市の東南部、神崎川の西岸、兵庫県道41号園田橋線の常光寺地区、王子製紙・神埼工場の西側に鎮座されております。周囲は玉垣に囲まれ、大きな木々にの中に鎮座、境内には常光寺幼稚園が併設されています。
この当たりは攝津國で、天正年間荒木村重が織田信長に、羽柴秀吉が明智光秀を追い京都に上がる際に戦火を罹り全焼しています。
尼崎市営バス:路線番号12番JR尼崎 北 乗車 バス停「常光寺」下車 北へ徒歩3分
平成27年(2015) 2月 2日 参拝
いつも訪問を頂きたくさんの気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で在ります様に!!
由緒;
ご祭神;天照大御神(あまてらすおおみかみ) 、誉田別尊(ほむたわけのみこと)
本殿棟札によると、天長元年空海上人が浄光寺創設の折に勧請したと記されている。
正平年中(1346~1370)、佐々木判官秀詮がこの地に浄光寺城を築き、その後天正7年(1579)、織田信長が伊丹城主荒木村重を攻略した際、城と共に城の守護神である当社も焼失した。のちの元禄13年(1700)、村人達が合議の上代官の助力を得て社殿を造営。
現在の本殿並びに北の鳥居は当時のもので、300年を経る。昭和3年、昭和の御大典を記念して拝殿、弊殿、本殿の覆殿を造営、昭和46年には明治百年を記念して全社殿の大屋根を改修。平成21年には、地盤沈下などによる社殿の歪みを修復するため基礎改修工事が行われ、現在に至る。
末社には稲荷社他、天満宮、愛宕大神、弁財天を祀る。また、境内には幼稚園が併設され、樹木は市の保護樹林に指定されている。
皇大神社公式ホームページ より
鳥居・社号標
鳥居に架かる神額・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
社頭
参道・境内
拝殿前の注連縄柱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
拝殿
拝殿内部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・拝殿内部に架かる神額・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本殿
拝殿前の狛犬
境内末社 稲荷神社 御祭神;迦具土稲荷大神
境内末社 相殿 天満宮・弁財天・愛宕大権現
照國塔
北・入口、鳥居
手水舎
境内案内板
淳和天皇、天長元年甲辰の年、空海上人が浄光寺創設の折に勧請されたと伝えられる。
正平年間赤間則裕が当地を平定し、佐々木詮が守護となり、ここに浄光寺城を築く。
天正年間荒木村重が織田信長に亡ぼされ、また羽柴秀吉が明智光秀を追い京都に上がる際、城は焼打に遇い当社も城と共に戦火を罹り全焼する。
この間300年城の守護神として祭祀されていた。
のち元禄13年村人達は代官蒔田庄衛門の助力を得、社殿を造営する。
本殿及び北の鳥居は当時の建物として現存している。
昭和の改元を記念して仝3年、本殿上覆幣殿、拝殿を新造し、昭和46年には 明治100年を記念して全社殿の御屋根を改修した。
JR西日本・JR神戸線、尼崎駅 東南へ約850m(直線)
尼崎市の東南部、神崎川の西岸、兵庫県道41号園田橋線の常光寺地区、王子製紙・神埼工場の西側に鎮座されております。周囲は玉垣に囲まれ、大きな木々にの中に鎮座、境内には常光寺幼稚園が併設されています。
この当たりは攝津國で、天正年間荒木村重が織田信長に、羽柴秀吉が明智光秀を追い京都に上がる際に戦火を罹り全焼しています。
尼崎市営バス:路線番号12番JR尼崎 北 乗車 バス停「常光寺」下車 北へ徒歩3分
平成27年(2015) 2月 2日 参拝
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明日も良い日で在ります様に!!































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