今津浜恵比須神社(いまづはまえびすじんじゃ) 西宮市今津久寿川町11
今津浜恵比須神社 (いまづはまえびすじんじゃ) 西宮市今津久寿川町11
由緒;
御祭神:蛭児大神
この地に鎮座祭神しある今津浜恵比須神社は古い昔から霊験あらたかな蛭児大神であると伝えられている。
その由来の説は神話の時代、淡路島津名一ノ宮の浜辺より、父神伊弉諾尊、母神伊弉冊尊が蛭児を生み給えるとき、次に蛭児を生みます。
己に3歳になるまで脚なお立たざりき蛭児を、アメノイワクズブネに載せ順風に放ち給いきとあります。
蛭児の神は、海の神となるべく修行をなされ、人々に漁法や商法を教導し給えるため、アメノイワクズブネを今津浦浜辺に着地され、浜人に示し給えて「輿」にて西宮神社本宮に入り給える。
途中休息された所が、札場筋に在る蛭児大神御輿屋伝説の地である。
今津浜恵比須神社は、いわゆる蛭児大神着地處としてお祭りし、代々漁民の長が祭事を司ってきた。
神社境内に最も古くから伝わる舟形の「御手水石」がある。
この船形石は古老の言い伝えによると昔から大風や大波に引き込まれ打ち上げられ、砂浜に埋れってわからなくなっていても、いつしか境内に帰ってきたという古老の不思議な話しを聞く。
また船形の御手洗水を体の病めるところにつけて擦ると、痛みが治まり、病も自然に治ると信じ多くの村人達の御信仰水ともなっていた。
またこの船形の手水石が古い昔からアメノイワクズブネになぞらえて奉納されていることからも、蛭児大神着地所の真実性がうかがわれる。
社額の恵比須も文久2年今津浜砲台建設前までは「蛭子」であったと古老は伝えている。
その由来は当寺今津村も天保年間の飢饉(三大飢餓享保・天明・天保)の被害の引き続きで物価が高騰し雑草や松の皮を粉にしそれを団子にして食べたほどの悲惨さであった。
そのうえに慶応元年の武庫川決壊で田畑や家屋の流失など、貧困餓死者が続出するといった、窮迫した時代に砲台建設のための用石の運搬、土運びに大工、左官と男女を問わず人夫使役の仕事は神のお助け恵み以外なにものもなし。
「お台場の土運び、向こうで飯(まま)食って二百と五十 ありがたい ありがたい」と優遇された。
お蔭歌だったその頃から祈願所として祭られていた蛭子社に恵比須と社額があげられた。
恵 めぐみ、比 くらべる、須 すべからく、他にくらべものにならないめぐみをすべての人々に與えてくださった恵比須様のご神徳をあらわしたものであります。
以上は伝説であるが、いずれも信実説である。
神社の祭礼日は古来より6月5日、9月16日である。
今津浜恵比須神社奉斎会 世話人代表 浅尾一雄
境内案内板より
社頭
境内
奥から
拝殿
拝殿架かる神額拝殿内部拝殿内の狛犬
本殿 御祭神:蛭児大神
拝殿前の狛犬
境内末社
無し
手水舎
境内案内板

阪神電気鉄道(阪神)、本線・久寿川駅(くすがわえき) 南へ約700m(直線)
久寿川駅の西側を南北に走る兵庫県道343号今津港津門大箇線を南へ600m進み今津港町交差点を左折し約250mで神社へ、鳥居をくぐり境内へ、正面奥に拝殿・本殿が鎮座しています。末社は見当たりませんでした。
平成30年10月 参拝
今回の移動で作成済み未発表のものです。
いつも訪問を頂きたくさんの気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!
由緒;
御祭神:蛭児大神
この地に鎮座祭神しある今津浜恵比須神社は古い昔から霊験あらたかな蛭児大神であると伝えられている。
その由来の説は神話の時代、淡路島津名一ノ宮の浜辺より、父神伊弉諾尊、母神伊弉冊尊が蛭児を生み給えるとき、次に蛭児を生みます。
己に3歳になるまで脚なお立たざりき蛭児を、アメノイワクズブネに載せ順風に放ち給いきとあります。
蛭児の神は、海の神となるべく修行をなされ、人々に漁法や商法を教導し給えるため、アメノイワクズブネを今津浦浜辺に着地され、浜人に示し給えて「輿」にて西宮神社本宮に入り給える。
途中休息された所が、札場筋に在る蛭児大神御輿屋伝説の地である。
今津浜恵比須神社は、いわゆる蛭児大神着地處としてお祭りし、代々漁民の長が祭事を司ってきた。
神社境内に最も古くから伝わる舟形の「御手水石」がある。
この船形石は古老の言い伝えによると昔から大風や大波に引き込まれ打ち上げられ、砂浜に埋れってわからなくなっていても、いつしか境内に帰ってきたという古老の不思議な話しを聞く。
また船形の御手洗水を体の病めるところにつけて擦ると、痛みが治まり、病も自然に治ると信じ多くの村人達の御信仰水ともなっていた。
またこの船形の手水石が古い昔からアメノイワクズブネになぞらえて奉納されていることからも、蛭児大神着地所の真実性がうかがわれる。
社額の恵比須も文久2年今津浜砲台建設前までは「蛭子」であったと古老は伝えている。
その由来は当寺今津村も天保年間の飢饉(三大飢餓享保・天明・天保)の被害の引き続きで物価が高騰し雑草や松の皮を粉にしそれを団子にして食べたほどの悲惨さであった。
そのうえに慶応元年の武庫川決壊で田畑や家屋の流失など、貧困餓死者が続出するといった、窮迫した時代に砲台建設のための用石の運搬、土運びに大工、左官と男女を問わず人夫使役の仕事は神のお助け恵み以外なにものもなし。
「お台場の土運び、向こうで飯(まま)食って二百と五十 ありがたい ありがたい」と優遇された。
お蔭歌だったその頃から祈願所として祭られていた蛭子社に恵比須と社額があげられた。
恵 めぐみ、比 くらべる、須 すべからく、他にくらべものにならないめぐみをすべての人々に與えてくださった恵比須様のご神徳をあらわしたものであります。
以上は伝説であるが、いずれも信実説である。
神社の祭礼日は古来より6月5日、9月16日である。
今津浜恵比須神社奉斎会 世話人代表 浅尾一雄
境内案内板より
社頭
境内
奥から
拝殿
拝殿架かる神額拝殿内部拝殿内の狛犬
本殿 御祭神:蛭児大神
拝殿前の狛犬
境内末社
無し
手水舎
境内案内板
阪神電気鉄道(阪神)、本線・久寿川駅(くすがわえき) 南へ約700m(直線)
久寿川駅の西側を南北に走る兵庫県道343号今津港津門大箇線を南へ600m進み今津港町交差点を左折し約250mで神社へ、鳥居をくぐり境内へ、正面奥に拝殿・本殿が鎮座しています。末社は見当たりませんでした。
平成30年10月 参拝
今回の移動で作成済み未発表のものです。
いつも訪問を頂きたくさんの気持ち玉・コメントを有難うございます。
これからも引き続きよろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!























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