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zoom RSS 壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)  羽曳野市壺井605−2

<<   作成日時 : 2017/07/27 13:34   >>

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壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)  羽曳野市壺井605−2



由緒;

御 祭 神;誉田別尊・仲哀天皇・神功皇后

 八幡神として誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、玉織姫・武内宿禰を配祀する。

 源義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる・重要文化財)や天光丸の太刀(重要美術品)などが伝わっている。社家の高木氏は、河内源氏・八幡太郎義家の六男(五男とする見方もある)・源義時(陸奥六郎義時)の子孫である。 宮内の楠は大阪みどりの百選に選定されている

歴史
 一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020年)に源頼信が河内国国司に任じられて以降、頼信・頼義・義家の3代にわたって当地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになった。

 康平7年(1064年)5月15日、前九年の役に戦勝して凱旋した源頼義が、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営し、河内源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)を勧請したのが当社の始りである。この時、地名を香呂峰から壺井と改め、壺井八幡宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした。[2]近くには河内源氏の氏寺・通法寺がある。

 その後、源頼義は、河内源氏の東国進出の拠点として、鎌倉にも石清水八幡宮を勧請した(鶴岡若宮。後の鶴岡八幡宮。)。頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟にして当地に土着した河内源氏である石川源氏の氏神となる。

 南北朝から戦国時代にかけたびたび兵火にかかり荒廃した。現在の社殿は、元禄14年(1701年)、徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したものである。

明治時代には八幡神社と称し、近隣の以下の神社が合祀された。

石丸神社(駒ヶ谷村大字通法寺。祭神 天照大神・武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比淘蜷_・誉田別命)
神明神社(西浦村大字広瀬。祭神不詳)
式内・大祁於賀美神社(駒ヶ谷村大字大黒。祭神 高龗神。昭和30年(1955年)に独立)
八幡神社(西浦村大字広瀬。祭神 品陀別命)
式内・飛鳥戸神社(駒ヶ谷村大字飛鳥。祭神 百済昆伎王。昭和27年(1952年)に独立)

第二次大戦後、現在の壺井八幡宮に改称した。

wikipediaより









社頭
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一の鳥居
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参道
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二の鳥居
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参道・境内
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中門
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本殿  御祭神;誉田別尊、仲哀天皇、神功皇后
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府指定史跡壺井八幡宮境内  (昭和52年3月31日指定)
 この台地は千二十年に源頼信が河内守に赴任直後、河内源氏の本拠と定めた香炉峯の一角に当るが、その後千六十四年、前9年の役を平定した源頼義が石清水の神を勧請し、守護神として創建したのが始まりである。
 現八幡宮及び権現社は元禄期に綱吉の命で再建されたものを平成に復原修理されたものです。
平成21年3月  大阪府教育委員会、羽曳野市教育委員会



境内摂社  壺井権現社  

御 祭 神;源 頼信公・源 頼義公・源 義家公

 天仁2年(1109)正月3日の夜、義家公の5男左兵衛尉義時公が、父祖三将軍の夢のお告げ
に「吾等三者の霊を祭祀すべし。然らば、王城を鎮護し、永く源家の守護神たたらん。」とありしにより、八幡宮西方に地を選んで社殿を造営、同年8月18日竣工、三将軍の荒御霊を奉斎し、壺井宮と称し、河内源氏の崇廟とした。                                 
 即ち、世にいう源氏三社(京都・六孫王社、摂津・多田社、河内・壺井宮)の一つである。壺井八幡宮公式HPより

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拝殿
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拝殿内部
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神額
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中門
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本殿  御祭神;源頼信公、源頼義公、源義家公
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拝殿前の狛犬
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ご神木
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史跡 壷井水
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 前九年の役の天喜5年(1057)6月7日、頼義公・義家公父子が賊と戦う時大干魃にて飲料水乏しく、まさに敗北せんとするときに、頼義公は下馬脱甲合掌、干天に祈って「諸軍渇に堪えかね、将に敗戦とす。伏して願わくば軍中に、水を得さしめ給え、帰命頂礼八幡大菩薩南無通法救世大士、擁護の手垂れ給え。」と申されしばらく礼拝された後、自ら弓矢をもって岸壁を穿ち給えば、そこより清水湧き出し、熱渇はたちどころに除かれた。これにより、諸軍は 大いに勢いを得、遂に賊を誅伏することができた。
因って凱旋の際、この清水を壺に入れて持ち帰り、城域内に井戸を掘り井底に壺を埋めて壺井水と称した。以後、香呂峰の地名は、壺井と改められた。湧水は今の北上川となったといわれている。壺井水の井戸は、現在も完全に保存されており、最近まで飲料水として利用されていた。壺井八幡宮公式HPより


事務所
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手水舎
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境内案内板
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壺井八幡宮
 このあたりは壷井の香炉峯といわれ、河内源氏発祥の地として知られており、平安時代の中期の寛仁4年(1020)、源頼信が河内守に任官してこの地に私邸を営み、康平7年(1064)に前9年の役を平定した頼義(頼信の子)が石清水の神を私邸の東側に勧請したのが本宮の起源である。
 また左側にある壺井権現社は、源義時(義家の五男)が河内源氏の祖神として天仁2年(1109)に創祀したものである。
 現社殿は、両者とも元禄14年(1701)に徳川綱吉の命で柳沢吉保が再建したものである。
河内ふるさとみち 羽曳野市









近畿日本鉄道(近鉄)、南大阪線・上ノ太子駅 西へ約1.2km(直線)
上ノ太子駅の西、壺井地区に鎮座しています。参道の道路に有る鳥居をくぐり進むと左手に”史跡 壷井水”が有ります。その奥に神社へ上がる石段を上って行くと二の鳥居、その奥に右手に樹齢1000年と言われるクスの木が、参道奥に中門、塀の中に本殿が鎮座しています。本殿の左手に摂社の壺井権現社が鎮座しています。壺井八幡宮の本殿・壺井権現社の本殿とも元禄14年徳川綱吉の命で柳沢吉保が再建した歴史価値の神社です!!






平成29年(2017) 5月17日   参拝






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